最終更新日:2023年10月18日 at 2:36 PM
絶版となった東京マルイのティーガー戦車(初期型)を走らせました。 ティーガーは、第二次世界大戦で連合国軍の兵士を恐怖で震え上がらせたという、当時では最強を誇ったドイツの重戦車です。
このRC戦車は、自宅マンションのクローゼットに眠っていたもので、東京マルイから2005年10月に発売された「1/24 RCバトルタンク タイガーⅠ (初期型)」です。BB弾の発射もできましたので、古いながらも未だ健在です!
走行可能な本物のティーガー戦車は、世界で1輌しか無く、絶滅危惧種とされています。コンバットディーラーの間では、古く錆びついたTIGERのパーツでさえも、どんなにお金を積んでも手に入れることは困難との事。
ちなみに、この東京マルイのティーガーは絶版となっており、オークションでは状態の良いものは高値で取引されています。
ティーガーの雄姿をどうぞ以下の動画でご覧あれ!
1/24 RCバトルタンク タイガーⅠ (初期型)の動画
《動画 その1》
《動画 その2》
パッケージと外観
東京マルイ〈RCバトルタンクタイガーⅠ〉のパッケージは、本体、プロポ、送信・受信信アンテナ、砲身(アルミ削り出し)の保護キャップ、戦車長フィギュア、BB弾(0.12g/6mm)、スペアキャタピラ(4コマ)、RCバトルタンク・ターゲット、取扱説明書で構成されています。
このティーガーは、ナチスドイツがソビエト連邦(現ロシア)への奇襲攻撃を行ったバルバロッサ作戦やソビエトの中戦車T-34と壮絶な戦車戦を繰り広げた クルスクの戦い* などに投入された東部戦線仕様の塗装(パンツァーグレイ)となっております。また、西部戦線においてもバルジの戦いやノルマンディーなどにおいて、連合国軍との戦闘にも投入されています。
販売終了品につき注文は出来ませんが、交換用スペアパーツとしては、キャタピラ(タイガーⅠ用)、車体スペアパーツA(機関銃、機関銃架パーツ A/B、ハッチストッパー)、車体スペアパーツB(スコップ、マズルブレーキ、後部フェンダー 左/右、砲塔スペアパーツA(装填手用ハッチ、戦車長ハッチ)、砲塔スペアパーツB(スモークディスチャージャー A/B)、ホイールラバー ダブル×8個、ホイールラバー シング×8個、保護キャップ、受信アンテナ がリストアップされています。これらパーツは全て塗装済みです。
【商品仕様】
・ 全長 : 352mm
・ 全幅 : 154mm
・ 砲塔水平回転角 : 320度
・ 砲塔垂直回転角 : 20度
・ 登坂能力 : 35度
・ 電動エアーガン(ホップアップシステム装備)による6mmBB弾発射機能搭載
・ 6台同時バトル可能RCシステム採用(クリスタル交換式)※交換用クリスタルは別売
・ 前進3スピード、左右旋回2スピードコントロール
・ 前後進、左右進、超信地旋回、砲塔左右回転、砲身上下動、BB弾発射等の全動作をコン・トローラー側から操作可能
・ 006Pアルカリ電池×1本、単3アルカリ電池8本使用(別買)
・ 走行時間 : 最長約60分
* ご参考までに、クルスクの戦いを描いたロシアの戦争大河ドラマ『タンク・ソルジャーズ』の記事へのリンクカードを以下に掲示します。ちなみに、私はこのドラマの全話をスカパー!で視聴しました! 😅
以下は解禁されたロシア発の戦争ドラマ大作『タンク・ソルジャーズ』DVD-BOX予告編の動画です。
プロポについて
ティーガーⅠ用のプロポ(コントローラー)は、複数の車両で同時走行させることにも対応しています。但し、その場合は本体側とコントローラー側の27MHz用クリスタル(1~6バンド)の交換が必要となります。
走行セクションのコントロールとしては、前進(1/2/3 – 1~3速)、後進(Back)、左旋回(L1/L2 – 1~2速)、右旋回(R1/R2 – 1~2速)、後左旋回(LB)、後右旋回(RB)、左超信地旋回(L1/L2・RBを同時押下-2速選択が可能)、右超信地旋回(R1/R2・RBを同時押下-2速選択が可能)が操作できます。なお、超信地旋回とは左右キャタピラを逆回転させて、その場で車体の向きを変える旋回方法です。
砲塔セクションのコントロールでは、砲塔左回転、砲塔右回転、砲塔上下、BB弾発射が操作できます。BB弾の発射操作は、コントローラーの裏側と表側のファイヤーボタン(F)を同時に押下します。
BB弾の装填は、装填手用ハッチを開いてBB弾(20発まで投入可能)を投入します。なお、ハッチの内部には発射スイッチ(安全装置)があり、発射に先立ち、このスイッチをONにしておく必要があります。RCバトルタンクはホップアップシステムが搭載されていて最大30mまでBB弾を飛ばすことができます。
RCバトルタンクタイガーⅠ プロフィール
写真は、Panzer VI(Tiger Ⅰ)に砲弾を装填しているところであり、Wikipediaに掲載された「ロシア・連邦公文書館画像 101I-461-0213-34」からの引用となります。なお、この写真は、本来モノクロ写真だったものを Photoshop Elements 2021 で破損個所を修復し、AIでカラー化したものです。
このティガーは、東部戦線で撮影されたものとされていますが、塗装については、かつてエルヴィン・ロンメル大将が率いた北アフリカ戦線の仕様のようです。
以下は、東京マルイの取扱説明書の裏表紙に掲載されている「RCバトルタンクタイガーⅠ プロフィール」の画像をテキスト変換したものです。
●第二次大戦の戦車「タイガーⅠ)
第二次世界大戦中、活躍した数多の戦車の中でも知名度が高く、現代に至っても高い人気を誇るドイツ軍重戦車「タイガーⅠ」。
最大100mmの厚さを誇る装甲は並みいる連合国軍戦車の主砲をすべて弾き返し、強力な56口径88mm砲は、敵戦車をアウトレンジから確実に撃破した。まさに「無敵」の存在であったが、その生産数は極初期型から後期型まで総計しても1,400輌足らず、ドイツ軍は数量的劣勢を克服するためにタイガーのみで構成された「独立重戦車大隊」を組織し、各戦線の重要局面に分散投入し、その一騎当千の能力をフルに活用した。複雑な機構と総重量57tもの巨体は常に稼働率の問題を発生させたが、士気が高く優秀な戦車クルーと整備中隊の昼夜を問わない努力により、前線においては猛威を振るい続けた。タイガー部隊の中から、敵戦車100台以上の撃破を記した”タンク・エース”が多く輩出したのもタイガーの優秀さもさる事ながら、常に危険な前線に身を挺して活動した勇気と責任感溢れる兵士達によってもたらされた戦果と言えるだろう。
●「タイガーⅠ」の開発
「タイガーⅠ」の開発は、第二次世界大戦(1939~1945)が始まる前の1937年には、小規模ながら基礎研究を含め開始されていた。当時はまだ、「タイガー」の名さえ無く、対戦車戦闘に重点を置いた新型戦車の開発計画であった。大戦が始まり、ドイツ軍は機動力の高い軽戦車と機械化(オートバイや装甲車)された歩兵部隊、優勢な航空戦力による ”電撃戦”により瞬く間に西ヨーロッパを制圧した。しかし、その侵攻地域が北アフリカ、東ヨーロッパへと広がるとアフリカでは英軍の、東欧ではソ連軍の戦車部隊が行く手を阻む様になり、より強力な新型戦車を望む声が大きくなった。1940年には、車体・主砲および砲塔などがすでに数社によって開発、試験を受けていたが1941年5月22日のドイツ軍上層部の会議により「重戦車開発・調達計画」に拍車がかかる様になる。この計画は”タイガープログラム”と呼称され、後の”タイガー”の名前の元となるのである。車体の間発はヘンシェル社とポルシェ社が行い、主砲および砲塔の開発はクルップ社が担当した。ポルシェ社の車体は1940年には試作が開始されていたが、ガソリンエンジンと電動モーターのハイブリッドであり、斬新な機構は慌ただしい生産日程の中で生じるであろう問題をクリアできない可能性があった。一方のヘンシェル社の車体は1941年5月28日の発注を受け、同社がかねてより開発中の重戦車用車体を改造、ポルシェ車体用に開発されたクルップ社製88mm主砲塔を搭載し、指定納期に間に合わせる形となった。1942年10月末の比較試験により量産型は製造安定性の高いヘンシェル型に決定され、完成していたポルシェ型90輌は重駆逐戦車”フェアデナント”に改造される事となり、ここに「装甲戦闘車輌Ⅵ H (ヘンシェル) -Ⅰ型 (VK45.01)」、タイガーⅠが正式に誕生したのである。(公式名称は1943年3月5日を持って装甲戦闘車輌タイガー/sd.kfz.181/E型と変更された。)
●「タイガーⅠ 初期型」と第503独立重戦車大隊
「タイガーⅠ」は1942年5月から1944年8月まで生産された。総生産数は1,346輌だが生産時期により、改良や生産効率のための仕様変更があり極初期型・初期型・中期型・後期型・最後期型に分類される。初期型の特徴はいくつかあるが、目立つ部分として 1.砲塔左右に3連型発煙弾発射器装備 2.戦車長用ハッチ(キューポラ)が中期型以降に比べ高く、ハッチが上方へ開く型式 3.当初、砂漠での使用が前提であったため、防塵(ファイフェル)フィルターが機関室上面から後部にかけて装着されている事などが挙げられる。また、1943年2月生産分までは車体色がパンツァーグレイ(デュンケルグラウ)1色で塗装されている事も特徴の一つだろう。ドイツ陸軍第503独立重戦車大隊は当初、北アフリカに派遣される予定であったがスターリングラードのソ連軍の反撃を阻止するため急遽、東部戦線への派遣へと変更された。以降終戦までソ連軍を相手に奮戦を続け、第二次世界大戦中、最大の戦車戦となった「クルスクの戦い」にも最高車輌数で参加し活躍している。終戦までの同隊の記録は敵戦車1,700輌以上、敵火砲2,000門以上撃破と数在る重戦車大隊中、最大の戦果を達成している。部隊マークは「虎の横顔」で正面装甲に描かれていた。
●東京マルイRCバトルタンク/タイガーⅠ
東京マルイが今回モデルアップするのは1942年後半から1943年初頭にかけて生産されたマニアの絶大な支持を得ている「初期型タイガーⅠ」で、上記、第503独立重戦車大隊に所属していたタイプ。最新の資料に基づき、1/24スケールでディテールを徹底的に追求! ディスプレイモデルをも凌駕する完成度を実現している。また現用戦車に比べて、車体・砲塔共に小型の「タイガーⅠ」に合わせ、ギアBOX、RCメカ、BB弾発射システムは全て新設計・新開発の「WWⅡバージョン」に換装! さらに特筆すべき点として、〈アルミ切削加工砲身(焼付け塗装済)〉を採用することで、6mmBB弾を発射可能としながらも砲身サイズのデフォルメを回避し、スリムな砲身を再現している。また、片側だけで3トン(1コマあたり約50Kg)あったと言われる実車キャタピラの重量感を出すためにシリーズで初めて〈連結式可動キャタピラ〉が標準装備された。その作動貝合はまさに実物同様! そして特徴的な複合転輪は初期型の外縁ゴムタイヤを再現すべく、32輪全ての転輪にゴム製の別パーツを装着! タイガーⅠマニアもうなる内容となっている。プロシア伝統のエリート部隊の証しである〈黒色の制服を纏った戦車長フィギュア〉の勇姿も、多くの激戦をくぐり抜け最後のベルリン市街戦まで戦い続けた”孤高の虎”=「タイガーⅠ」の最強伝説を雄弁に物語っている。
MARUI
TOKYO MARUI CO.,LTD.
http://www.tokyo-marui.co.jp/
伝説の戦車兵エース ミハエル・ヴィットマン SS大尉
宣伝中隊(PK)によるプロパガンダ写真 (1944年5月) *出典: Wikipedia
前述した”タンク・エース”で最も有名な戦車兵は、ミハエル・ヴィットマンです。
現在、彼の亡骸は、ノルマンディ地方のラ・カンプのドイツ軍戦没者墓地に埋葬されています。なお、この写真は、本来モノクロ写真だったものを Photoshop Elements 2021 のAIでカラー化したものです。
以下は、Wikipediaからの引用です。
ミハエル・ヴィットマン(Michael Wittmann、1914年4月22日 – 1944年8月8日)は、第二次世界大戦中のドイツ第三帝国の親衛隊員(SS)。武装親衛隊の第1SS装甲師団ライプシュタンダルテ・SS・アドルフ・ヒトラー (LSSAH) に所属した戦車兵であり、最終階級はSS大尉。
撃破数は戦車138両、対戦車砲132門。最も多くの敵戦車を撃破した戦車兵の一人である。特にノルマンディー戦線で、彼が単騎でイギリスの戦車部隊に壊滅的打撃を与えたヴィレル・ボカージュの戦いは有名。
* 出典: ミハエル・ヴィットマン(Wikipedia)
現存する走行可能なティーガーについて
現存するティーガーは、保存状態の悪いものも含めて世界で僅か7輌しか無く、その中でも唯一走行可能なティーガーⅠ(Tiger 131)がイギリスのボービントン戦車博物館に保存・展示されています。
写真は、ティーガーⅠ(Tiger 131)の走行の様子です。この車輛は、ブラッド・ピット主演の映画「フューリー」の戦闘シーンを演じた事でも知られています。
以下は、その走行動画です。